さるっちの秘密 第2話



「あれ。まだ起きてたの?」



 みっちゃんに絞られ身動き取れなくなっていると、さらに別の声が部屋に届いた。



「若旦那」



 その声の主は、この家の主、坂下の若旦那だった。



「若旦那はないでしょ。もうこの年で。名前で呼んでよ、名前で」



僕たちの言葉に若旦那は苦笑した。



のしのしと部屋に入ってきて、みっちゃんの隣に座る。名前で呼べといわれても……実は知らないんだよな、この人の名前。しかし今更聞くわけにもいかないだろうし。



「でも今日は坂下さん(若旦那と呼ぶなと言われたから)のお陰で助かりました。悟さんもう完璧にべろべろになってたんだもん」



 みっちゃんがぺこりと頭を下げる。とりあえず、僕も頭を下げる。



「そんなに酷かった? 僕は」



「……覚えてないくらい、酷かったんだよ」



 ……みっちゃんの視線が痛い。



「あぶみさんが悟さんが落ち着くまで一緒にいる、って言うから。あぶみさんと悟さん、こんな夜遅くに二人きりにしておけないでしょ。でもみんな今日仕事だし―――。だからあたしが貧乏くじ引いたんじゃない」



「あぶみさんが……」 



あぶみさんが、僕のことを。



 みっちゃんの言葉を、僕はなんだか意外な感じで受け止めた。



「ふぅん…」



「僕がやぁっと仕事終わって車走らせてたら、悟さん吐いてるんだもん。驚いたよ」



「す……すいませんでした」



 僕は再び、頭を下げた。



 吐いてたことなんて、ちっとも覚えてはいなかった。……なるほど、みっちゃんが怒るわけだ。



「ありゃなんですか、自棄酒?」



 坂下(商店)さんはポケットの中のライターを取り出し、同じくポケットから取り出したタバコに火をつける。



「……」



 僕は咄嗟に、何も言い出せなかった。



 ある意味このひとは結構鋭いかも。けど、はいその通りです、だなんて絶対に言えるわけないし。



「飲みたくなるときもありまして……」



「程度を考えてほしいよ」



 何とか言い訳しようとすると、更にみっちゃんが後ろからグサリと突き刺す。……ハイ、言い返せませんです。



「いいね、若いってのは。僕なんか自棄酒飲むゆとりさえないよー。こんな家に一人で住んでさぁ」



 すると、なんか漫才めいたことをやってる僕らを、坂下さんは羨ましそうに見つめた。ふぅ……と、重いため息をつきながら。



「そう言えば、一人暮らしなんですよね。こんな立派なお家なのに」



 みっちゃんの何気ない問いに、坂下さんはさらにため息をついた。



もしかして禁句か? と焦った矢先、坂下さんは頭を辛そうに振った。



「親が煩くってさぁ……やれ早く嫁を連れてこいだの、やれ早く孫を見せろだの。もう嫌になっちゃってさ。それで家出たのよ。貯金もあったしね」



「いいひとはいないんですか? こんな立派なお家なんですもん、一人で住むのはもったいないよ、ねぇ悟さん」



「あ…ああ、そうです。もったいないですよ、坂下さん」



「いいひとがいたら、とっくに連れ込んでるよ」



 えらく重い坂下さんの言葉。なるほど、それはもっともだ、と僕は思い、頷きかけて、それを直前で止めた。んなことしたら、更に坂下さんを落ち込ませかねないじゃないかっ!



「静内の宝も……もうすぐお嫁にいっちゃうしねぇ……」



 完全に落ち込みモードに入ってしまったらしい坂下さんは、愚痴でも言うような口調で更に続ける。「静内の宝?」きょとんとみっちゃん。



「あぶみさんですよ、あぶみさん。猪口さんとこの次男坊の。―――もう、決まりかけてるそうじゃないですか」



「えーっ、そうなの?」



 みっちゃんは意外そうに声をあげた。



「そうなの、って。毎日あぶみさんと顔を合わせてるんでしょ?」



「だって。……お付き合いしてるんだな、っていうのは梅ちゃんあたりから聞いてたけど。でも、あぶみさん自身からそういう話聞いたことなかったし。話を振ってみても、変にはぐらかされてるばっかだから……って、あ! あたしすっかり忘れてた!」



 みっちゃんは両手をパン! と叩き合わせ、僕のほうにまるでロボットみたいなぎこちない動きで顔を向ける。「な、何?」



「ねぇ、あぶみさん知らない?」



 素っ頓狂な質問。



「は?」



 当然、僕にその意味が判る筈がない。



「悟さん苛めてて忘れちゃってた。あぶみさん、さっきから姿見えなくて」



「―――はぁ? それって、どういうこと? 休んでるんじゃなかったの?」



「違うわよ! だって、あぶみさん悟さんの側にもう少しいるって言って、あたし達が貸してもらった部屋に一度も戻ってきてないんだもん」



 ―――あぶみさんが?



 僕の、側に?



 みっちゃんが妙な言い方するもんだから、変に受け止めてしまう。



 まだ、酔いが抜けきってないせいか……きっと、そうだ。



「まさか、外に出たとか? あぶみさんも確か酔ってたし」



「悟さん程じゃなかったわよ。ね、坂下さん」



「うんうん。って言うよりさっき僕、玄関の鍵確認した時、あぶみさんの靴はあったから、出かけてはいないはずだよ」



 坂下さんの言葉に、全員の視線が一つのところに集まる。



「じゃ、どっかで寝てるとか?」



 坂下さんが、まさか、といった感じで言う。



「……あり得ない話じゃないね」



 あぶみさんの酒乱ぶりを知っているみっちゃんは、小さく頷いた。



「ちょっと、探してみようか? 狭い家の中だけど、変なところでねてられたら、大変だし」



 坂下さんが立ち上がり、続いてみっちゃんも立ち上がった。僕も何とか、立ち上がろうとして……こけた。「もう、なにやってるのよ」みっちゃんがそんな僕を冷たい視線で見下ろす。



「もう悟さんはいいから寝ててよ。酔いが残ってるからまともに歩けないんでしょ?」



「大丈夫だよ。これくらい……っしょっ!」



 僕は再び立ち上がろうとして、「わっ!」再びこけた。



「もう。なんか今日の悟さん、変だよ?いいから寝てて。お休み」



 更に立ち上がろうとした僕をもう無視して、みっちゃんたちは部屋を出て行った。なんと無情なことに、部屋の明かりまで消していってしまう。







「……」



 周りが暗闇になり、みっちゃんたちの話し声が聞こえるとはいえ一人になってみると、なんか急に自分が情けなくなってきた。



 なにをやってんだろ、僕は。



 女々しい気持ちを捨てきれずに、潰れるまでビールなんか飲んだりして。



 挙句の果てに、あんな夢まで見て―――。



 もう何をどうしたって、ひびきくんは駿平くんのものなのに―――。



「……」



 なんか急に嫌になってきた。僕は布団に入りなおし、また横になった。



 けど眠りたいときに限って、眠気は覚めてしまうもので。



 何度も寝返りを打って、やはり寝れず、けど遠くに聞こえてた筈のみっちゃんたちの声が聞こえなくなった頃……ようやく眠気がうとうとと僕を包みだしてくれてた頃……。



 ギシ。



 和室の前に、誰かの足音が止まった。



 僕は全然気にしてなかった。坂下さんだと思ってたし。



「あの……、悟、さん?」



「!?」



 ところが聞こえてきたのは、男の声ではなく。



「あ…、あぶみさん!?」



「はい」



 僕は慌てて布団から起き上がる。



「―――はいっても、いいですか?」



 やけに遠慮がちな口調で、ふすま(と思われる)の前から話しかけてくるあぶみさん。「どうぞ!」僕は自分の家でもないのに、そんな風に返してしまった。



 すぅ……っ。やけにゆっくりとふすまが開かれる音がする。



 キシ。かすかな足音。



 部屋に入ってきたはずのあぶみさんは灯りをつけようともせず、ほぼ真っ暗闇の中を、こちらに向かってくる。



「あぶみ…さん?」



 すとん、と僕の前で、あぶみさんが座った。



「さっきは、ごめんなさい」



 顔も殆ど見えないけど、その声の近さで、あぶみさんは僕のすぐ近くにいるっていうことが判る。



なんか…声、震えてないか?



 って言うか、何で謝って来るんだ?



「あたし、動揺しちゃって―――……」



 訳の判らない僕に、あぶみさんは静かに続けた。



 ―――動揺?



 あ、そう言えば、僕の起きる直前、誰かに突き押されたような……あれ、もしかしてあぶみさんが? だから謝ってるのかな。



「その……なんていうのかしら、恥ずかしいんですけど……。あたし……初めてだったから……」



 その声色が、なんだか涙ぐんでるように感じるのは僕の気のせいだろうか。



 って言うか、初めて……って。



「初めて?」



 僕がやっと声を出すと、「…はい…」ともう消え入りそうなくらい小さくあぶみさんが返事した。



「今時…この年になって、恥ずかしいわよね。けど……あれが、初めての……キスだったんです」



 !!??



 ――――キスだぁっ!?



 僕はひっくり返りそうになる自分を、何とか堪えた。



「悟…さん?」



「キスって。それ……僕と、あぶみさんが?」



 もしかして、あの夢か?



 目覚める直前に見てた、あの?



 現実と、ごっちゃになってた……って!?



「―――? もしかして、覚えてないの?」



 僕の慌てふためく言葉遣いと態度(これは見えてないかもしれないけど)に、あぶみさんの声色に疑念が混じる。



「覚えてるも、何も……」



 なんて返したらいいのか判らず、おろおろしながら僕が返すと、「……」あぶみさんは途端に黙りこくってしまった。



 その時。



 ぱっ! と部屋の灯りがついた。



「―――!?」



 慌てて入り口のほうを見ると、固まってるみっちゃんと坂下さんがそこにいた。



「どうしたの、あぶみさん?」



 みっちゃんが僕のすぐ隣で座っていたあぶみさんに声をかける。あぶみさんは頭をうつむかせ前髪で自分の顔を隠していた。



 あぶみさんの肩が、僅かに震えていた。



「……っ」



 顔を覗かせると、あぶみさんは顔を真っ赤にさせて、泣いていた。



 ―――子供、みたいに。



<<続きます♪>>

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